術前絶飲食ガイドライン ― 清澄水・母乳・固形物の考え方

はじめに
術前絶飲食は、摂取物と患者の状態を分けて考えます。日本麻酔科学会(JSA)の「術前絶飲食ガイドライン」(2012年7月)における絶飲時間の目安は、清澄水が麻酔導入前の2時間、母乳が4時間、人工乳・牛乳が6時間です。ただし適応外の患者には、この時間を一律に適用しません。
待機的全身麻酔下手術では、麻酔導入時の嘔吐・誤嚥を危惧して長時間の絶飲食が行われてきました。一方で、長時間の絶飲食には口渇感・空腹感などの苦痛、脱水や周術期合併症増加の可能性があります。短時間絶飲水の安全性・有効性を示す研究を背景に、本ガイドラインは安全な時間短縮に寄与する目的で作成されました。
ここではJSA本体の絶飲時間を軸に整理します。固形食の時間は欧米ガイドライン由来の参考情報、ERASの炭水化物飲料は別文脈の実践です。出典の位置づけがごちゃまぜにならないよう、はっきり分けて書きました。
この記事でわかること
- ガイドラインの適応と適応外
- 清澄水・母乳・人工乳や牛乳の絶飲時間と分類
- 固形食の参考基準とERASの位置づけ
- CEが入室前に確認し、共有する情報
まず確認する適応・適応外
適応は、全身麻酔・区域麻酔・鎮静・鎮痛を要する待機的手術患者です。全身麻酔だけを対象とした時間表ではありません。術前診察ではカルテ閲覧、理学所見、問診等から誤嚥リスクの情報を集め、適応かどうかを判断します。
| 区分 | 該当する患者 | 時間の扱い |
|---|---|---|
| 適応 | 全身麻酔・区域麻酔・鎮静・鎮痛を要する待機的手術患者 | ガイドラインの絶飲時間を参照 |
| 適応外 | 消化管狭窄、消化管機能障害、気道確保困難が予想される患者、緊急手術患者、リスクの高い妊婦 | 本ガイドラインの時間を適用せず、患者の状態に合わせて対応 |
リスクの高い妊婦の例には、陣痛がある場合や胎児心拍数に異常がある場合が挙げられます。「時間を守っているか」と「この時間表の対象か」は別の確認事項です。患者には、手術前の絶飲食時間とその必要性を説明します。
清澄水 ― 対象飲料と絶飲時間
適応患者では、清澄水の摂取は年齢を問わず麻酔導入2時間前まで安全とされています(時間の目安、推奨度A)。短時間絶飲水の安全性・有効性を示す研究に基づく考え方であり、飲料であれば何でも同じ扱いになるわけではありません。
| 分類 | 飲料・注意点 |
|---|---|
| 清澄水に該当 | 水、茶、果肉を含まないアップルやオレンジジュース、ミルクを含まないコーヒーなど |
| 注意が必要 | 浸透圧や熱量が高い飲料、アミノ酸含有飲料は胃排泄時間が遅くなる可能性 |
| 推奨できない | 脂肪含有飲料、食物繊維含有飲料、アルコール |
確認では「ジュースを飲んだ」「コーヒーを飲んだ」という名称だけで終わらせず、果肉やミルクの有無も共有します。摂取量は、患者が飲める範囲内での摂取は可と考えられています(複数の研究報告による)。量の話と、清澄水に該当するかどうかの判断は、別物として押さえておきたいところです。

母乳と人工乳・牛乳を分ける理由
母乳は麻酔導入4時間前まで、人工乳・牛乳は6時間前までの摂取が安全とされています(いずれも時間の目安、推奨度C)。同じ「乳」でも、清澄水とも互いとも区別して扱います。
根拠の一つである胃内容量測定試験では、母乳は人工乳・牛乳に比べて胃内停滞が有意に少ないことが示されています。「飲んだものは液体だから清澄水と同じ」という理解では、この違いを見落とします。申し送りでは母乳、人工乳、牛乳のどれに該当するかを明確にします。
| 摂取物 | 絶飲時間の目安(麻酔導入まで) | 推奨度 |
|---|---|---|
| 清澄水 | 2時間 | A |
| 母乳 | 4時間 | C |
| 人工乳・牛乳 | 6時間 | C |
記憶の助けは「清澄水・母乳・人工乳の順に、目安は2・4・6」。この並びに固形食を混ぜないよう注意してください。時間の基準は麻酔導入です。入室前の確認でも、何をいつ摂取したかを麻酔導入との関係で共有します。

固形食 ― 欧米ガイドラインの参考情報
JSAの本ガイドライン自体は、固形食について明確な絶食時間を示していません。液体に比べてエビデンスが不十分であり、固形食の定義が明確ではなく、栄養素も様々であることが理由です。
一方、欧米ガイドラインの基準を参考情報として紹介しています。下表の時間はその参考基準の目安であり、JSA自身の推奨として読み替えないでください。
| 欧米ガイドライン由来の参考情報 | 摂取から麻酔導入までの時間の目安 |
|---|---|
| 軽食:トーストを食べ清澄水を飲む程度の食事 | 6時間以上 |
| 揚げ物・脂質を多く含む食物・肉 | 8時間以上 |
「軽食」という言葉は、単に量が少ない食事という意味に広げず、ここで示された内容とともに伝えます。早見表に固形食を記載する場合も、JSA本体の絶飲時間とは出典の欄を分けると、同じ推奨だという誤解を防げます。

ERASの炭水化物飲料は別文脈
ERAS(術後回復能力強化プログラム)では、術前2〜3時間を目安に炭水化物含有飲料を摂取させる方法が報告されています。欧州麻酔科学会(ESA)のガイドラインなど、ERASプロトコルの文脈での実践です。
JSAの2012年ガイドライン本体には、術前炭水化物飲料の記載はありません。ERAS導入施設で採用されている実践として理解し、JSAの中核勧告や全施設共通の標準とは区別します。ここでは具体的な濃度や容量は扱いません。
CEが確認すること ― 入室前の情報共有
CEが関わるのは、遵守状況と適応外患者の情報を、申し送りや問診情報から共有する部分です。確認の流れは次の通りです。
- まず適応外の情報を確認する。消化管狭窄・機能障害、気道確保困難の予測、緊急手術、リスクの高い妊婦に該当する情報を共有する。
- 次に摂取物と時刻を確認する。清澄水、母乳、人工乳・牛乳、固形食を区別し、入室前に絶飲食時間を遵守したか確認する。
- 逸脱や適応外の情報があれば、麻酔科医・術者へ共有し、患者の状態に合わせた対応につなげる。
緊急手術や飲食時間の逸脱で絶飲食が不十分な患者は、RSI(迅速導入)の適応になりうるという関連も押さえます。確認結果は、単に「絶飲食済み」とするより、摂取内容・時刻・適応外の情報を分けると伝えやすくなります。関連する導入方法は迅速導入(RSI)の記事も参照してください。
よくある質問
Q. ミルク入りコーヒーも清澄水ですか?
A. 清澄水の例として挙げられるのは、ミルクを含まないコーヒーです。飲料名だけでなく内容を確認します。
Q. 緊急手術でも時間表を使えますか?
A. 緊急手術は適応外です。本ガイドラインの時間を適用せず、患者の状態に合わせた対応とします。
Q. 固形食の時間もJSAの推奨ですか?
A. いいえ。JSA本体は明確な絶食時間を示しておらず、掲載されている時間は欧米ガイドライン由来の参考情報です。
Q. 炭水化物飲料は全施設共通の標準ですか?
A. ERAS導入施設での実践として紹介されるもので、全施設共通の標準やJSA本体の勧告ではありません。
まとめ
- ✅ 時間表より先に、ガイドラインの適応かを確認する。
- ✅ JSA本体の絶飲時間の目安は、麻酔導入まで清澄水2時間・母乳4時間・人工乳や牛乳6時間。
- ✅ 固形食の時間は欧米ガイドライン由来の参考情報であり、JSA自身の推奨ではない。
- ✅ ERAS炭水化物飲料はJSAの2012年ガイドライン本体とは別文脈。
- ✅ CEは入室前の遵守確認と、逸脱・適応外患者の情報共有に関わる。
参考
公益社団法人日本麻酔科学会「術前絶飲食ガイドライン」(2012年7月)。本記事は同版についての確認済み事実に基づく解説です。
ERASの別文脈に関する書誌情報:Smith I, et al. Eur J Anaesthesiol 2011;28(8):556–569(ESAガイドライン。JSA本体の参考文献[22])。





